寺田宜弘のプロフィールと家族について。気になる年収についても。【情熱大陸】

人物

ウクライナ国立バレエで芸術監督を務める寺田宜弘さん。
バレエカンパニーの演目の選定やダンサーの指導などを行うのが芸術監督です。
150年以上ある国立バレエ団歴史の中で、初めて日本人として芸術監督を託されました。
さらには、去年のNHK紅白歌合戦にゲスト審査員のひとりとして、出演されてました。
軍事侵攻で揺れるウクライナで、前進しつづける「寺田宜弘」さんについて調べてみました。

寺田宜弘のプロフィール

生まれ年:1976年 ※24年で48歳
出身地:京都府
11歳で単身キーウへ渡り、日本人初となる旧ソ連の国費留学生としてキエフ国立バレエ学校で学ぶ。
1995年ウクライナ国立バレエに入団。
ソリストとして多くの舞台にたつ。
引退後、キーウ国立バレエ学校芸術監督に就任。
2016年ウクライナ政府よりウクライナ人民芸術家の称号を与えられました。
趣味は料理で煮込み料理が得意だそうです。

バレエ一家に生まれる

お父さんの寺田博保さんは、京都にある「寺田バレエ・アートスクール」の創設者で校長をされてましたが、2001年に他界されてます。
お母さんの高尾美智子さんがそのあとを継ぎ、現在校長を務めています。

お兄さんが1人いるようですが、お兄さんはバレエをしていないようです。
医師をされてる、という噂もありました。

いつからバレエを始めたのかについて、「バレエをいつ始めたのか記憶はない。母親のおなかの中にいたころから踊っていたと思う」と寺田さんは話しています。

キーウ国立バレエ学校との関係

キーウと京都市は姉妹都市です。
このことから、キーウ国立バレエ学校と寺田バレエ・アートスクールも姉妹校の関係にありました。
長期休暇になると、生徒さんたちはキーウへ研修を受けに行ったようです。
寺田さんも7歳の時に親に連れられて、はじめてキーウのバレエ学校を訪れたそうで、衝撃を受けたそうです。

「男の子だけのクラスがある。僕もここに入りたい」

京都で当時、周りでバレエを習っている男の子は寺田さんだけで、いつも女の子に囲まれてレッスンを受けていたからです。

1987年、11歳でソ連の国費留学生として一人でキーウに向かいました。
その当時はゴルバチョフの改革運動「ペレストロイカ」が進められており、ソ連が揺れていました。
前年にはチェルノブイリ原発(キーウから110キロの位置)で事故が起き、大変混乱した時代でした。

キーウ国立バレエ学校の寮は、シャワーのお湯が出ませんでした。
停電もしょっちゅうだったそう。
パン、バター、肉などは配給制。
そんな中でも寺田さんは、配給で手に入れた貴重な砂糖を親に送るようなやさしい子だったそうです。

北国のロシアでお湯が出ないのは死活問題ですね。
11歳の少年がそんな苦境の中でも成長したそのタフさと、現在の苦境を強いられるウクライナで挫けずにバレエ団を率いる強さが、繋がってるように感じました。

キーウ国立バレエ学校は8年制の養成学校で300人ほどが学んでいました。
卒業してウクライナ国立バレエに入れるのは数人だけ。
寺田さんは11歳から19歳まで学び、卒業するとすぐに入団します。
ソリストとして世界中で公演し活躍しました。

ソリスト
バレエで、一人で踊る人。主役級の踊り手のことです。

年収

イギリスの芸術監督で~2000万円ほどのようです。

バレリーナ達の給与についても
日本のバレエ界は、ほとんどが給料性ではありません。
公演に出演すればギャラが発生する、ということになります。 ※1回の公演出演料が1.5万~5万円ほどです。
しかし生活ができるほどの収入にはならないため、バイトをしながら働いているのが現状です。
有名なバレエ団に所属していてもチケットのノルマがあるようです。

バレリーナの年収 200~300ま万円
プリマバレリーナで、年収600万円~
*プリマ:バレエ団における女性バレエダンサーの最高位。 プリマドンナの略です。

■バレエ大国ロシアの年収事情
ロシアでは、バレリーナは公務員のような扱いを受けています。
バレエ公演がない日でも固定給が支払われるそうす。

日本のバレリーナの年収が200~300万円程度なのに対し、ロシアの国立バレエ団に所属するトップクラスのダンサーの年収は1,000~2,000万ほどだそうです。
国民から、バレエが認められているのがわかりますね。

年間の公演数も歴然とした差があり、日本では年間50回ほどなのに対し、ロシアでは年間150回ほどです。

さらに、バレリーナの寿命は非常に短く、ロシアでは38歳から年金が支給されるそうです。

ロシアではバレエがきちんとした職業として定着してますね。

まとめ

ウクライナは政治的に不安定な状態が続いており、安全面や経済の面でも問題に直面しています。
そんななか、ウクライナ国立バレエでは120人いた団員が、いまは30人しか残っていない状況です。

「ウクライナはひとつだ。また必ず平和な時代が戻ってくる」

寺田宜弘さんの強い意志で、ウクライナバレエの歴史と伝統がずっと続くことを願います。

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