あの国民的アイス「ガリガリ君」。
誰もが1度は食べたことがありますよね。
夏が来るとあのガリガリとした氷の食感がたまらないです。
フレーバーもたくさんの種類があり、代表的なソーダ、コーラ、梨、グレープフルーツをはじめ季節限定商品も数多く発売されています。
年間4億本売れる大ヒット商品を生み出した「鈴木政次」さん。
今回は鈴木政次さんについて調べてみました。
鈴木政次さんプロフィール
有名人講演会の裏側 講師人気1位は赤城乳業「ガリガリ君」開発に携わった鈴木政次氏 – ニフティニュース https://t.co/GSerU43eNC pic.twitter.com/7kIZ5IUHAk
— トレンド大好き (@AgreeReUttegdrp) September 23, 2018
鈴木政次 すずきまさつぐ
生まれ年:1946年 ※24年で78歳
出身地:茨城県
学歴:東京農業大学卒業
赤城乳業㈱に入社
「ガリガリ君」「ガツン、とみかん」「ワッフルコーン」「BLACK」など数多くのロングセラー商品を開発する。
赤城乳業㈱入社にいたるまで
小学校5年生のとき、議員をしていたお父さんを亡くされてます。
それまですり寄ってきていた人たちが、翌日から誰も来なくなったそうです。
お父さんは借金をしていたそうですが、親戚は知らないふり。
その時に世の中を知ったそうです。
大学生のとき、変革を求めた学生運動の時代でした。
東大総長が式辞で鶏口牛後という言葉を使ってるのを聞いて「大きな組織のしっぽでなくて、小さな会社の頭になりたい」と、思ったそうです。
赤城乳業に興味を持ったきっかけは、かき氷1本でやっているヘンな会社だと思ったことと、当時の会長に会ったとき、「この人は大物だ」と直感したことだそうです。
早くにお父さんを亡くしていることもあり、「男親とはこういうものか」と、言葉にならない気持ちを感じとったようです。
入社試験の感応検査では、色んな香りを嗅いで当てるというものですが、初めてやったのにも関わらず全部当てたそうです。
これらのことから縁を感じ、赤城乳業へ入社を決めたそうです。
鈴木政次さんの現在について
赤城乳業退社後は、M.ソリューション代表として講演や執筆業を行っています。
講演では商品開発、マーケティング、営業、マネジメント、組織づくりをテーマにこれまでの経験を伝え続けています。
さらに、講演依頼数ランキングでは、6期連続で1位を獲得し、殿堂入りを果たしました。
書籍
スーさんの「ガリガリ君」ヒット術
発売日:2016年8月
1,540円
『スーさんの「ガリガリ君」ヒット術』読了。企画の作り方の参考になった。わかりやすいはすごい。 pic.twitter.com/ullPQ9oLHw
— TOMOYA (@Kurosuke0) June 27, 2020
自己啓発本としても優秀な内容だと思いました。
仕事で行き詰ったとき、解決の糸口が見つかるような側面もあります。読むとマーケティングの知識も身に付きますよ。
ガリガリ君開発にいたるまで
1960年代から70年代にかけては、カップタイプの氷菓「赤城しぐれ」が大ヒットしてました。
しかしオイルショックの影響でカップの価格が高騰。
他社との価格競争も相まって、次第に商品は売れなくなり会社が倒産の危機に直面しました。
1979年、当時商品開発部のリーダーだった鈴木政次さんに、「赤城しぐれ」を超えるような商品の開発を命じられました。
そして、2年がかりでつくったのが「ガリガリ君」だそうです。
「ガリガリ君」のネーミング
「赤城しぐれ」を木のスプーンで削った時のガリガリという音にしたいということは決まってましたが、それでは何かおかしいと思ったそうです。
専務に相談したところ「『君』を付ければ?」と言われました。
そして「ガリガリ君」という固有名詞が誕生したのです。
当時はファストフードが日本に入ってきた頃で、ワンハンドで気軽に食べられるアイスにするというコンセプトがありました。
遊びに夢中の子どもが食べられるよう、片手でも食べられるバータイプにするに。
さらに「赤城しぐれ」のフレーバーの、いちご、白みつ、あずきを採用しないことにしたそうです。
カップタイプからバータイプにしただけなら「カップの分だけ安くしてほしい」と言われてしまう恐れがあり、同じ味にはできなかったようです。
残っているのは売れない味ばかり。
味が決まらず悩みに悩んで円形脱毛症になり、自殺寸前にまで陥ります。
おかしなもので、追いつめられると逆に頭が冴えてきたです。
「自分の業界しか見ていないじゃないか」と気づき、アイス業界以外に目を向けます。
すると飲料業界で不滅のナンバー1商品に気づいたそう。
それは、サイダーとかラムネでした。
売上増
1981年に「ガリガリ君」が発売されました。
発売当初は今の10分の1しか販売していなかったそうです。
当時のアイスは、街の駄菓子屋さんで売られていました。
駄菓子屋には大手メーカーが貸し出したストッカーという冷凍ケースが置され、中小メーカーの商品はなかなか置いてもらえない状況。
そこで、その頃店舗網を広げていたコンビニと取り組みをするようになります。
コンビニの店舗増とともに、販売数量も伸びたそうです。
売上減
1990年代の後半、売れ行きが落ちていきました。
原因を探るため全国3万人の消費者調査をしました。
しかし、はっきりとした答えはでてこなかったそうです。
日本人はタテマエと本音を使い分けるため、広範囲の調査してもダメだと気づきます。
本音を引き出すために、グループインタビューをすることにしました。
すると、女性グループから散々な評価を受けました。
パッケージのキャラクターを見て、「格好悪い、恥ずかしくてレジに持っていけない」と言う意見がでました。
揚句の果てに「汗が泥臭い、歯ぐきが汚い、田舎くさい」と言ってきたそう。
これが主婦の本音であり、思いもつかなかったことだったそうです。
昔のガリガリ君、怖ぇー😭 pic.twitter.com/E6VqeWRpge
— ニコチン (@nikochin159) June 6, 2022
2000年以前の「ガリガリ君」は、かわいくないですね。
昔の「ガリガリ君」のキャラクターイメージは、「中学3年生の野球少年」でした。
グループインタビューを受けて、キャラクターの刷新します。
実は今のキャラクターデザインは、ある調査会社の社員が描いたものです。
彼は「ぜひ、私に描かせてください。私以上に子どもの頃から『ガリガリ君』を愛している人はいないと思います」と言ったそうです。
その思いに懸け、年齢設定が小学生の「ガリガリ君」が誕生しました。
ふと、ガリガリ君のパッケージの歴史を見てみた。1枚目が一番最初、2枚目が90年代後半、3枚目はパッケージのデザインがほぼ現行と同じになった2004年、4枚目が現在のヤツ。
— 虎鉄 (@kokoko51021013) June 19, 2022
Twitterの仕様で4枚だけだが、実際はそれ以外にも色んなデザインがあるんだな。 pic.twitter.com/1CiKxWsxmf
今のパッケージをご覧ください。
歯ぐきが見えていません。
汗も輝いています。
こうした変化は、外部の知恵やノウハウの力によるところが大きいそう。
社外にも目を向けて、意見を取り入れたことが良かったようですね。
工場見学開始
2010年に稼働した、主力の「本庄千本さくら『5S』工場」で、工場見学が開始されました。
業務全体を見える化し、積極的にマスコミにも開示。
新聞、雑誌、テレビなどでも紹介され、広告効果はなんと20数億円。
07年に2億本、10年に3億本、そして11年に販売本数は4億本を突破しました。
工場見学
なかなか予約がとれない大人気な工場見学です。
アイスと言えば、ガリガリ君😋
— 埼玉バーチャル観光大使 (@saitama_vtuber) July 11, 2022
赤城乳業の本庄千本さくら『5S』工場では工場見学をされていますわ✨✨
ガリガリ君…食べたい🥰https://t.co/Nx49j0E8FT#本庄市 #工場見学 pic.twitter.com/G2oq3YRDNY
ガイドによる説明を聞きながら、製造ラインの見学をしたり、資料や展示物の見学ができます。
さらに赤城乳業のアイスが試食ができるほか、アイス消しゴムやファイルなどのお土産もついてきますよ。
予約について
事前予約が必要です。
申し込みはインターネットのみでの予約となります。
「赤城乳業 工場見学」の公式サイトから、お知らせ欄下の『工場見学を予約する』のボタンから進めます。
定員に達した回の表示は「空きなし」と表示されますので、キャンセルにより空きが出ると日付の選択ができるようになります。
まとめ
片手で手軽に食べられて、手頃な価格なので多くの人から楽しまれてますね。
食べるときのガリガリした音がする硬めの食感は夏に最適♪
季節ごとの限定味もあり、多くのフレーバーが選べるところも魅力的です。
国民から支持されつづけるアイスなのも理解できますね。
コメント