木村尚子(きむらなおこ)プロフィール(経歴)年齢など。おやさいクレヨン【ガイアの夜明け】

芸能

廃棄野菜を利用して子どもが口にしても大丈夫な安心・安全な「おやさいクレヨン」を2014年に開発した木村尚子さん。

爆発的なヒットとなり、2000円のクレヨンが8年で累計15万セットも出荷されました。

しかし木村さんの成功までの道のりは大変厳しいものでした。
シングルマザーとしての一面ももつ、木村さんのこれまでについて調査しました。

木村尚子(きむらなおこ)プロフィール(経歴)

木村 尚子 きむらなおこ
1979年生まれ。※24年で45歳
出身地:青森県
青森西高等学校卒業

専門学校(青森市内)のデザイン科卒業
娘さんが一人います。

おやさいクレヨンができるまで

木村さんが自宅でほうれん草を茹でたとき、薄い緑色の煮汁を見て、「これで絵が描けそう!」とひらめいたのが着想でした。

他にも色が濃い野菜やフルーツも使えそうだと考えた木村さんは、ほうれん草の煮汁やフルーツジュースを瓶に移して実際に描いてみたそうですが、ほぼ色がつかなかったそうです。

余計、野菜や果物の色で絵を描きたい、そんな文房具が欲しいと思うようになっていったそうです。

子ども時代はとても孤独で、クレヨンで数えきれないほど絵を描いてきたそうです。

大人になり、娘さんと一緒にクレヨンで絵を描く時間は何よりも大切だったと話しています。

愛着のあるクレヨンでつくろうと思っていったようですね

寂しい子ども時代

物心つく前に木村さんの両親は離婚しています。
木村さんを引き取ったお母さんは「奔放な性格」で、家にほとんどいなかったそうです。

親代わりの祖母は、お酒を飲むと暴れる人でした。

幼い木村さんは、いつも顔色をうかがって過ごしていたそうです。
なかなか友達もできず、いつもひとりで「ぬり絵」や、「絵」を描いてました。

中学生になった木村さんは、子どもがいなかった母方の伯父夫婦と暮らすことになります。

夫婦共働きの伯父夫婦のおかげで生活は落ち着きましたが、間もなく借金を抱えた親戚が夜逃げしてしまったそうです。

伯父夫婦は保証人になっていたため家を売らざるおえなくなります。

多感な子ども時代に心休まる時間がなかったのは本当につらかったろうと思います。

絵を描くことが、つらい現実から逃れる時間だったのでしょうね。

木村さんは高校3年生になり、祖母と母と3人でのアパートで暮らしが始まります。
生活はとても厳しいものだったそうです。

デザインの道へすすむ

高校時代、美術部に所属していた木村さん。
「東京の美大に通いたい。将来はデザイナーになりたい」と思ったそうです。

余裕がない生活の中で夢を諦めかけていたところ、顔も名前も知らなかった父親が、どこかで娘の窮状を知り、進学に必要な資金を用意してくれました。

青森市内の専門学校のデザイン学科に進みます。

一般的には、親が学費を出すのは普通のことです。
しかし木村さんの場合、厳しい生活のなかで断念せざるおえない状況でした。
諦めかけてた道に進めたのは幸運でしたね。

もしここで木村さんがデザインから離れてしまったら今とは全く違う現実が待っていたでしょうね。

進学後、母親が「知人を頼って出稼ぎに行く」と言い、急に関東に移住してしまいます。

祖母の酒癖の悪さもなおらず、木村さんは遊び歩くことが増えてしまいます。

しかしデザインの勉強だけはまじめにやり、就職活動の時期に見つけた編集のデザイン会社に就職することになりました。

シングルマザーになる

24歳のとき、専門学校時代にアルバイト先で出会った男性との間に子どもができ、結婚しました。

しかし夫は入籍から3カ月もすると、青森県外に出稼ぎに行ってしまいます。

木村さんは、ひとりで出産しました。

木村さんが勤めていたのは小さい会社だったこともあり、出産する女性は戦力外とみなされ退職を迫られました。

出稼ぎに行ったはずの夫から生活費は届きません。

木村さんは「3カ月ですぐに戻ります」と頭を下げ、なんとか産休を認めてもらえたそうです。

木村さんの給料は、手取りで14万円程度。

家賃、生活費、保育料を支払うと手元に2、3万円残ればいいほうだったそうです。

やっと夫が戻ってきましたが、夜な夜な出歩く、娘が熱を出しても帰ってこない。電話にも出ない、という酷い対応。

希望を失なった木村さんは、離婚を決めました。

木村さんは、当時の自分を「ワーキングプア」だと表現しています。

娘との時間を増やしたい、もっと稼ぎたいという気持ちが強くなったそうです。

関心するのが、これだけの不運な境遇にありながら、なげやりになっていかないところです。

子どもは家族からの影響を強く受けますが、木村さんは酒に溺れず、奔放な生活もおくりませんでした。

やはり木村さんは、何か他の人にはない強いメンタルと軸をお持ちだったんでしょうね。

デザイナーとして独立

思い切って決断し、7年間務めた会社を辞めました。

「娘には自分の子ども時代のように寂しい思いはさせたくない」

32歳のとき木村さんは、あてはなかったもののデザイナーとして独立しました。

腹をくくった木村さんは、偶然開催されていた食の見本市に向かい、出展してる企業やメーカーに営業を始めました。

地道な活動が功を奏し、少しづつ依頼が増えていきます。

独立から間もなくして会社員時代の収入を超えるようになったそうです。

「仕事がまわるようになったのは、奇跡的でした。
初めて自分の自由な時間もとれるようになったし、独立していいことしかなかったです」

自宅で仕事をしてたため、それまでに失った子どもとの時間を取り戻すように、娘さんとの生活を大切にしました。

心に余裕ができると、視界が広がり、やりたいことが見えてきたそうです。

独立して2年目のある日、全国の藍染作家が集まる作品展に足を運んだとき、自然から生まれた藍色の美しさに引きつけられたそうです。。

「藍色のインクがあったらいいなあ。ほかにも自然由来の色のインクが揃っていたら素敵だな」

木村さんは、もともと自分でネットショップを開いて文房具を売り始めていたこともあって「天然の色でオリジナルの文房具を作って、自分のショップで売ろう!」と思うようになりました。

ここから「おやさいクレヨン」へ繋がっていきます。

「フードロス」対策の一面も

形が悪い、傷があるなどの理由で、野菜や果物が捨てられる「食品ロス」が問題になってます。

サステイナブルな事、SDGsで環境にやさしいことを推進する動きが浸透している世の中で、木村さんの野菜を使ったクレヨンや文具はまさに時代に合ったものでした。

おやさいクレヨンの原料
おやさいクレヨンは、野菜パウダー、ライスワックス(米ぬかの油から採れるロウ)、食品添加物用の顔料のみで作られた安心安全で環境にやさしいクレヨンです。

「子どもが口に入れても大丈夫なクレヨン」を目指し、使用する油もライスワックスを使うことで「お米と野菜」という日本人に合う組み合わせにしたそう。

廃棄野菜・果物のリサイクル

クレヨン1色につき、約180キロの野菜と果物でつくられてます。
10色入りのクレヨンセットをこれまで15万個出荷してるので、全部で27万トンの廃棄野菜と果物を再利用していることになります。

おやさいクレヨンと姉妹品

おやさいクレヨン

「キャベツ」色は土に残して堆肥にされたりする外葉やカット野菜の端材を使ってるそうです。

「りんご」色はりんごドライチップス加工時に排出されるりんごの皮を使うなど、それぞれ農家から集めたものを原材料としてるそうです。

「ねぎ」色は、ねぎの匂いがするそうですよ。

10色 ¥2,200

おはなのクレヨン

本物のお花の色で描く植物性のクレヨン。¥1,320
オーガニック認定済みや、食品用のお花パウダーを蜜蝋ワックスに配合。

おこめのクレヨン

クレヨンの原料に「米油」を採用。
クレヨン特有の油くささもないそうです。
姉妹品の「おやさいクレヨン」では表現出来ない「青」や「赤」もセットに入ってます。

16色 ¥2,750

ひとり娘さんについて

木村さんが大切に守り育ててきた娘さんは、都内の大学へ進み大学生活を送っています。

将来の夢は「文具メーカーで働くこと」
「でも、うちじゃなくて、もっと大手に入りたいって言うんですよ」と話す木村さん。

都内で催事を行う際には娘さんがお手伝いもしてるそうです。

木村さんと同じく文具に興味をもたれた、ということは母である木村さんを尊敬してる表れですよね。

苦労が報われた気持ちでしょうね!

まとめ

普通の人なら、めげて人生をあきらめてしまうような境遇にありながら、努力と自由なアイデアで一発逆転のシンデレラストーリーを駆けのぼった木村さん。

多くの報われない立場にいて、もがいている人たちの希望になるといいなと思いました。

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